みなさん、こんにちは。沢田ピヨです。
今日は、赤穂市に来ました。
赤穂城そのものは現存していませんが、こちら隅櫓(すみやぐら)が復元されています。👇
天守台は残っていて、登ってみると、そこは何もなく芝生のみ。しかし、
天守台からの景色は、ぐるりと本丸全体を見渡すことができ素晴らしいです。👇
日本100名城の中で[No.60 赤穂城跡]のスタンプも押しました。📥
赤穂城と言えば、『赤穂事件』や『忠臣蔵』というフレーズは、セットとして捉えてもいいと思っています。
12月14日に開催される<赤穂義士祭>、芝居や、年末にテレビドラマでよく目にする<忠臣蔵>は、師走の風物詩になっています。
「赤穂事件」とは、無念の切腹をした殿様の、仇を討つために、家臣が起こした仇討ち事件です。
仇の相手は、吉良上野介(きら こうずけのすけ)、
家臣とは、大石内蔵助(おおいし くらのすけ)、長男の大石主税(ちから)以下47人の武士を指します。
『浅野内匠頭は、上司の吉良上野介から理不尽ないじめを受けていた。
ある日、けんかになり、内匠頭だけ切腹、吉良には何のおとがめも無し。
内匠頭の家臣たちは悔しさに泣き、大石内蔵助を中心に殿様の仇討ちを決行。
47士は亡き殿様の墓に、吉良の首を手向ける。
仇討ちを果たした内蔵助らは、武士として名誉に当たる切腹を言い渡された。』
との説が、伝えられています。📚
城跡の中に、赤穂浪士を祀る大石神社があります。
参道に、義士47人の石像が、右側に23体、左側に24体並んでいます。👇
赤穂城を書くつもりが、赤穂浪士がメインになってしまいました。💦
でも、赤穂浪士が日本人に支持される理由は何なのでしょう。
忠義を守り抜いたからか?
仇討ちが成功しても自分たちの命はない、のに、最後まで全員が示した結束力か?
理不尽ないじめに直面した時の私達の心理と重なるからか?
城巡りをすると、昔の日本にタイムスリップするようです。
参道を歩き、大石神社です。👇
この1年、健康に暮らせますようにと参拝しました。🙏
赤穂に来た もう一つの楽しみは、食事です。
赤穂と言えば、牡蠣が有名です。
カキフライ、蒸し牡蠣、牡蠣のつくだ煮に、牡蠣のミルク鍋‥👇
牡蠣料理の数々には、舌つづみを打ってしまう‥それくらい好きです。😁
ブログを書いていると、皆さんと会話をしているようで楽しいです。
今年もどうぞよろしくお願いします。🐣
See you again!>^_^<